弁長 | |||||||||||||||||||||||
生没年 | 応保2年(1162)〜嘉禎4年(1238) | 分類 | 僧侶 | ||||||||||||||||||||
略歴 |
筑前の香月に生まれる。14歳で得度、22歳で比叡山にのぼり、東塔の観叡について学んだ。証真、能忍について学んで、建久三年に故郷に帰り、油山寺の学頭となる。たまたま弟の死に遭い、その心痛をいやすのは唱名念仏しかないとして36歳で京にのぼり、法然に会い、法然を師と仰いだ。筑紫に帰り、筑後山本に善導寺を建てて念仏布教の拠点とした。寂後三百八十年の元和九年、後水尾天皇が善導寺に紫衣、仁孝天皇が文政十年に大紹正宗国師を諡した。 | ||||||||||||||||||||||
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