Putiatin,Evfimii Vasil'evich
生没年 1804〜1883 分類 ロシア海軍軍人

略歴
 1822年ロシア海軍士官学校を卒業、42年海軍少将。極東通として知られ、海軍中将・侍従武官長だった52年にロシアの第3回遣日全権大使節に任命され、1853年8月(嘉永6年7月)長崎に来航。1855年2月(安政元年1月)伊豆下田で日露和親条約を締結。樺太は国境を設けない日露両国の共有地と定められた。この交渉中、旗艦ディアナ号が地震で沈没し、戸田で代船として洋式帆船を建造した。58年(安政5年)6月に清国と天津条約を、同年7月11日(8月19日)に江戸で日露修好通商条約を締結した。59年海軍大将、61年文部大臣になる。明治14年(1881)日本政府から勲一等旭日章が贈られている。

場所 静岡県 田方郡戸田村 戸田村立造船郷土資料博物館
 

場所 静岡県 富士市 三四軒屋緑道公園
 
 

場所 静岡県 富士市 広見公園ふるさと村


 




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