広田弘毅 | |||||||||||||||||||
生没年 | 明治11年(1878)〜昭和23年(1948) | 分類 | 外交官・政治家 | ||||||||||||||||
略歴 |
福岡県生まれ。少年時代から玄洋社同人と接触し、その思想的影響をうける。明治38年東大法科卒、翌年外務省に入る。オランダ公使、年ソ連大使などを歴任。昭和8年年5月斎藤実内閣の外相に就任し、次の岡田啓介内閣にも留任。昭和9年12月ワシントン軍縮条約の廃棄を決定し、中国政府に対して「広田3原則」(排日取蹄・満州国承認・共同防共)を提示し、中国権益の拡大に努める。昭和11年の2・26事件後、内閣を組織し、日独防共協定に調印。内閣総辞職後、第1次近衛文麿内閣の外相に就任し、対中国強硬政策を推進する。太平洋戦争末期、ソ連を仲介とする和平工作をしたが失敗。A級戦犯として文官中ただひとり処刑された。 | ||||||||||||||||||
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