畠山重忠はたけやま しげただ
生没年 長寛2年(1164)〜元久2年(1205) 分類 鎌倉時代の武将

略歴
 畠山重能の子。母は三浦義明の娘。妻は足立遠元の娘、のち北条時政の娘(政子の妹)と再婚。源頼朝につかえる。治承4(1180)年8月、源頼朝が挙兵すると、在京中の父に代わって平氏方の大庭景親に属し、外祖父三浦義明を滅ぼした。同年10月同族豊島氏、葛西氏の斡旋により頼朝に降伏し、鎌倉御家人となる。源義仲や平家の追討などではたらき、頼朝が京都へはいる際に先陣をつとめた。義父北条時政の後妻牧の方との不和が原因で、従兄弟の稲毛重成により武蔵国二俣川で謀殺された。

場所 東京都 青梅市 武蔵御獄神社




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