浜崎太平次 | |||||||||||||||||||||||
生没年 | 文化11年(1814)〜文久3年(1863) | 分類 | 薩摩藩御用商人 | ||||||||||||||||||||
略歴 |
薩摩国揖宿部指宿郷指宿村湊(現在の指宿市)に、海運業を営む七代目浜崎家当主の太平次の長男として生まれる。名は正房、通称太平次。商号はヤマキ。浜崎家は太平次が八代目当主となった次期が最も栄えた。太平次は14歳の時に琉球に渡り、商品を大坂に売り財をなす。薩摩藩家老の調所広郷が行った天保改革では、三島砂糖運送に指名される。以後も薩摩藩の御用商人として、鹿児島城下の本店を中心に全国に支店を設け、全国的な貿易・造船・運送業を行う。 | ||||||||||||||||||||||
|