浜口雄幸はまぐち おさち
生没年 明治3年(1870)〜昭和6年(1931) 分類 政治家

略歴
 旧土佐藩士の家に生まれ、のち郷土の家の養子となった。明治28年帝国大学法科大学を卒業。大蔵省に入省し大正1年第3次桂内閣で後藤新平逓相の下で次官に就任。大正2年立憲同志会に入党、大正4年衆議院議員(当選6回)。蔵相、内相をへて、昭和2年民政党の総裁となり、昭和4年首相。緊縮政策と金解禁を断行したが、ロンドン海軍軍縮条約調印が、統帥権干犯として野党や軍部に攻撃された。昭和5年11月14日東京駅で佐郷屋留雄に狙撃され、翌年8月26日死去。性謹厳実直、ライオン首相と渾名された。

場所 高知県 高知市 五台山
 

場所 高知県 安芸郡田野町 浜口雄幸氏邸
 




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