野村靖のむら やすし
生没年 天保13年(1842)〜明治42(1909) 分類 萩藩士・政治家

略歴
 通称は和作、靖之助、字は子共、芳共。号は靖録、欲庵、香夢庵主。萩城下土原に生まれる。萩藩足軽入江嘉伝次の二男で入江九一は兄に実兄。父嘉伝次の実家野村氏を継ぐ。安政4年松下村塾に入門。安政6年2月、京都に潜入するが捕らえられ、岩倉獄に囚せられた。万延元年放免された後も江戸、京都で国事に奔走し、品川英国公使館焼き打ち事件、馬関攘夷戦などに参加、三条実美ら七卿の用掛を勤めた。禁門の変後で山田顛義らとともに御楯隊を結成。対馬藩内証の際は、勤王派を支援のため対馬に渡っている。慶応2年の四境の役(長幕戦争)では芸州小浦川口で戦っている。明治2年11月、山口藩常備軍軍監。維新後は明治政府に出仕し、岩倉使節団に随行して欧米を歴訪。帰国後神奈川県令、フランス公使などをつとめる。明治27年第2次伊藤内閣の内相、明治29年第2次松方内閣の逓信相。枢密顧問官、子爵となる。
場所 山口県 萩市 萩往還公園
  




戻る