野村望東尼のむら ぼうとうに
生没年 文化3年(1806)〜慶応3年(1867) 分類 歌人

略歴
 福岡藩士の三女。福岡藩士の夫野村新三郎とともに歌人大隈言道の門に入り歌や書を学んだ。弘化2年家を長男に譲り夫と友に福岡郊外の平尾山荘に移居した。安政6年夫が死去、54歳で出家する。筑前の尊攘派志士と交わり、獄中の平野国臣を慰問、高杉晋作らをかくまう。慶応元年玄界灘の姫島に流刑となったが、翌年救出され下関で晋作の庇護をうけた。翌年晋作が下関で病死。望東尼は三田尻に出て荒瀬致和の家に滞在中に死没した。著書に『姫島日記』『防州日記』『向陵集』など。
場所 福岡県 福岡市中央区 野村望東尼山荘跡
 




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