日源にちげん
生没年 生年不詳〜慶長14年(1609) 分類 僧侶

略歴
 和紙の産地として知られる越前国今立郡五箇郷(現在の福井県今立郡)に生まれた。本姓は矢賀部。日蓮宗の行脚僧となり諸国を巡礼。文禄の初め頃に筑後国八女地方(現在の福岡県八女市付近)にきた際、この地方を流れる矢部川の水質が製紙に適することを知り、この地に紙漉きの技術を伝えるために、故郷から弟の矢賀部新左衛門などの製紙技術者を三名つれてきた。文禄4年、当時荒れ寺になっていた下妻郡溝口村の福王寺を再興し、寺内に製紙の作業場を作って八女地方にはじめて紙漉きを伝えた。これが溝口紙の始めである。同地方の領主立花宗茂は溝口紙を御用紙に命じ、福王寺へ寺領を寄進、製紙業に必要な諸道具を与えるなど、育成・保護に力を尽くしている。関ヶ原の役後、立花宗茂が改易され、変わりに入部した田中吉政も溝口村の紙屋に禄を与えて御用紙を命じた。その田中氏も改易となったが、元和6年再び立花宗茂が再封、宗茂を慕って同行していた弟新左衛門も八女の地に戻ってきた。日源の末孫は代々福王寺住職となっている。
場所 福岡県 筑後市 福王寺
  




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