那須俊平 な す しゅんぺい
生没年 文化4年(1807)〜元治1年(1864) 分類 土佐藩郷士

略歴
 名は重任。檮山源八郎の変名がある。土佐国高岡郡梼原村に生まれ、同村の那須忠篤の養子となる。「土佐一の槍の達人」と称せられ、自宅に道場をつくり、養子に信吾を迎える。信吾とともに尊攘運動にくわわる。文久2年(1862)、脱藩する坂本龍馬らを道案内し、自身も文久3年脱藩し、長門萩藩の忠勇隊員となり、禁門の変に参加し討ち死。
場所 高知県 高岡郡梼原町 維新の門
 



 

 




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