中野正剛 なかの まさたけ
生没年 明治19年(1886)〜昭和18年(1943) 分類 ジャーナリスト・政治家

略歴
 福岡県生まれ。明治42年早大政経卒。『東京朝日新聞』に入り、多くの政治評論を執筆。大正5年東方時論社に移り、主筆兼社長となり、対独参戦・シベリア出兵に反対する。大正9年衆議院議員(当選8回)。昭和7年「社会国民主義」を唱えて国民同盟を結成、「国家改造計画綱領」を公表する。昭和11年ナチスやファッショをモデルにした東方会を結成、親独伊・南進論を提唱。昭和15年大政翼賛会総務。日米開戦後は、戦争遂行方針をめぐって東条内閣と対立。昭和18年東条内閣打倒を画策して逮捕され、釈放後の同年10月27日割腹自殺。
場所 福岡市 中央区 中野正剛生誕地


 

 




戻る