中平善之丞なかひら ぜんのじょう
生没年 宝永6年(1709)〜宝暦7年(1757) 分類 一揆指導者

略歴
 高岡郡津野山郷の上岡家に生まれ、高岡郡梼原村の庄屋中平家の養子となり家督を継ぐ。名は隠敦。財政窮乏に陥っていた土佐藩は専売制の強化のため、宝暦2年に国産方役所を設置、国産問屋を復活させた。津野山の農民は楮・茶などを栽培して現金収入を得ていたが、国産問屋に安く買い付けられたために、買い入れ停止を願ったが、藩は弾圧したため、農民たちは宝暦5年善之丞を指導者として津野山一揆を起こした。善之丞等は捕らえられて問屋蔵屋利左衛門とともに死罪となり、斬首された。藩はのち国産問屋を廃止し、藩主山内豊敷は高知城内に小祠を設けて善之丞の霊を祀った。
場所 高知県 高岡郡東津野村 高野


 

 




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