中浜万次郎なかはま まんじろう
生没年 文政10年(1827)〜明治31年(1898) 分類 漂流民・教育者

略歴
 幡多郡中ノ浜(土佐清水市)の漁師の二男として生まれる。天保12年(1841)、15歳のとき土佐宇佐港の漁師に雇われ出漁中遭難。アメリカの捕鯨船に救助される。万次郎は船長ホイット・フィールトに伴われて太平洋で捕鯨に従事。天保14年から船長の居住地ヘヤーヘブンにおいてジョン=マンの名で英語、数学、航海術などの教育をうける。弘化3年(1846)から再度捕鯨に従事したのち、カリフォルニアの金山で働く。嘉永4年(1852)帰国、嘉永6年幕臣となり、安政4年(1857)軍艦操練所の教授、万延元年(1860)通訳として咸臨丸で再渡米、維新後は開成学校で英語を教えた。
場所 高知県 土佐清水市 足摺岬


 




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