長与専斎 ながよ せんさい
生没年 天保9年(1838)〜明治35年(1902) 分類 医者

略歴
 肥前国大村藩(長崎県)藩医長与俊達の養子中庵の子。祖父俊達によって育てられる。安政元年大坂の適塾に入門。塾頭になる。文久元年長崎に赴き、蘭医ポンペについて医学を学んだ。明治4年岩倉遣欧使節団にくわわり、欧米の医事を視察。帰国後、第2代文部省医務局長となる。同年9月東京医学校の校長を兼務し、明治8年6月医務局が内務省に移管されるとともに衛生局と改称され、その初代局長に就任、以後19年間この職にとどまって衛生行政の基礎を築いた。長与称吉・又郎・善郎、岩永裕吉の父。
場所 長崎県 大村市 大村市立病院
 




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