東郷茂徳 | |||||||||||||||||||
生没年 | 明治15年(1882)〜昭和25年(1950) | 分類 | 外交官 | ||||||||||||||||
略歴 |
鹿児島県日置郡美山生まれ。朝鮮出兵に出陣した島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工の朴家の末裔。明治41年東京帝国大学独文科を卒業、大正元年(1912)年外務省に入省。昭和8年欧米局長、翌年欧亜局長、昭和12年10月駐独大使。日独伊3国同盟に反対したため、翌年10月駐ソ大使に異動。昭和16年10月東条内閣の外相兼拓務相となり、日米交渉の打開に尽力する。昭和17年9月大東亜省設置問題で東条英機と対立し辞職。昭和20年4月鈴木貫太郎内閣の外相兼大東亜相となり終戦工作を行う。戦後A級戦犯として起訴され、禁固20年。拘禁中アメリカ陸軍病院で病死。 | ||||||||||||||||||
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