徳川義親 とくがわ よしちか
生没年 明治19年(1886)〜昭和51年(1976) 分類 華族・植物学者

略歴
 東京都生まれ。父は越前藩主松平慶民。明治41年尾張徳川家の養子となり侯爵。明治44年東大史学科、ついで大正3年(1914)植物科を卒業。大正7年徳川生物学研究所を設置。狩猟家として有名で、「虎狩りの殿様」と称された。貴族院議員として治安維持法の制定に反対、貴族院改革をとなえるなど革新華族としても知られ、昭和6年、橋本欣五郎らによるクーデター「3月事件」の決行資金を出資するなど国家改造運動を展開する。また、名古屋の自宅を徳川美術館建設用地として寄付、戦争による美術品の散逸を防ぐ。日中戦争では排英運動を推進し軍の南進政策を支持した。昭和16年の対米戦争ははじまると軍政顧問としてシンガポールに赴任。昭南博物館と植物園の館長に就任し、南方の民俗や動植物の研究を行う。戦後は日本社会党の結成に協力、東京裁判では3月事件の証人となる。公職追放解除後、名古屋市長に立候補したが落選。日ソ交流協会会長をつとめる。
場所 愛知県 小牧市 小牧山




 



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