徳川家康とくがわいえやす
生没年 天文11年(1543)〜元和2年(1616) 分類 戦国大名・江戸幕府将軍

略歴
 三河国岡崎城主松平広忠とお大(水野氏)の子。幼名は竹千代。6歳(8歳)で駿府の今川氏に人質として送られる途中、奪われて尾張の織田信秀のもとに送られたが、2年後に返還され、19歳までを駿府で過ごした。永禄3年の桶狭間の戦の後に今川氏から独立して、翌年には織田信長と和睦した。永禄7年に三河の一向一揆を鎮圧し、永禄11年より今川氏を攻め遠江に進出、武田信玄の没後、子の勝頼の軍を信長と共に破り、永禄10年武田氏滅亡の後、駿河国を領国とする。本能寺の変ののち羽柴(豊臣)秀吉と和睦して秀吉の天下統一に協力。永禄18年に後北条氏がほろぴると、秀吉の命により関東地方に移って、江戸を本拠とし、豊臣政権下最大の大名となる。秀吉没後、関ケ原の戦いで天下を手中におさめ、慶長8年征夷大将軍となり、幕府を開設。慶長10年子の秀忠に将軍職をゆずるが、駿府に引退後も大御所として秀忠を後見した。
場所 東京都墨田区 江戸東京博物館

場所 静岡県 静岡市 駿府城跡


 


場所 愛知県 岡崎市 岡崎公園


 

 


場所 愛知県 岡崎市 岡崎公園








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