道元どうげん
生没年 正治2年(1200)〜建長5年(1253) 分類 僧侶

略歴
 内大臣源通親と太政大臣藤原基房の娘の子として宇治木幡(京都府)に生まれる。幼くして両親を失い、13歳のとき比叡山で出家、建仁寺に赴いて明全に師事し、貞応2(1223)年、明全と共に宋に渡る。天童山の如浄に曹洞禅を学び、安貞1(1227)年帰国。34歳の時に京都・深草に興聖宝林禅寺を開くが、天台宗からの圧迫は激しくなり、寛元2(1244)年越前(福井県)に大仏寺を開き、のち永平寺と改める。『正法眼蔵』『永平広録』『学道用心集』などを執筆する。諡号は仏性伝東国師。
場所 東京都 府中市 高安寺
 

場所 東京都 調布市 金龍寺
 

場所 愛知県 名古屋市北区 普光寺



場所 静岡県 榛原郡榛原町 石雲院





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