寺島宗則てらじま むねのり
生没年 天文5年(1536)〜寛永20年(1643) 分類 薩摩藩士・外交官

略歴
 薩摩国出水郡脇本に、出水郷土の二男として生まれ、天保7年伯父の侍医松木宗保の養子となる。藩の蘭医八木称平や、長崎で蘭学を修める。弘化2年家督を継ぐ。翌年藩留学生として江戸で医学・蘭学を学び、藩主斉彬に用いられて、集成館で洋書の翻訳を行う。安政3年には幕府の蕃書調所の教授手伝となり、斉彬の侍医を勤める。文久元年第1回幕府遣欧使節の随員として渡欧。帰国後薩英戦争に参加。慶応元年渡英し、英国の対日外交政策を接衝する。帰国後寺島陶蔵に名を改め、慶応元年薩摩藩英国留学生案内役として渡英。もっぱら英国議会対策に奔走して、英国の対日外交政策を接衝した。帰国直後、名を松木弘安から寺島陶蔵に改めた。外国事務掛、神奈川県知事、外務大輔を経て、明治5年駐英大弁務使としてイギリスに駐在、特命全権公使となる。翌年帰朝して参議兼外務卿となって、条約改正交渉に当たる。のち文部卿、元老院議長、枢密院副議長などを歴任。
場所 鹿児島県 鹿児島市 若き薩摩の群像
 



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