津軽為信 つがる ためのぶ
生没年 天文19年(1550)〜慶長12年(1608) 分類 戦国大名

略歴
 堀越城主武田守信の子、幼名は扇。永禄10年(1567)大浦城主大浦為則の婿養子となり大浦氏を継ぐ。出羽の最上義光、南部の九戸政実と結び、元亀2年石川高信を攻略、津軽平定を開始した。その後も大光寺城、浪岡城、油川城、田舎館城などを次々に攻略し、約17年かけて津軽地方の平定を達成する。天正17年、豊臣秀吉に家臣を派遣し、津軽地方の安堵を受け、以後津軽氏を名乗る。関ケ原の戦は徳川方につき大垣城攻略に参加、長男信建を石田方につけるなど、お家の安泰を図り、近世大名として成長する。慶長8年高岡(弘前)に築城を着手、慶長12年、長男信建の病気見舞いに上洛した京都で客死。
場所 青森県 弘前市 弘前文化センター


 




戻る