長宗我部元親 | |||||||||||||||||||
生没年 | 天文7年(1538)〜慶長4年(1599) | 分類 | 戦国大名 | ||||||||||||||||
略歴 |
岡豊城主長宗我部国親の長子。永禄3年家督を継ぎ、七守護といわれた本山安芸、津野、三国司の一条兼定を追い、天正3年には土佐を統一した。天正13年四国を統一するが、同年豊臣軍に攻められて降伏し、土佐一国だけの領有をゆるされる。豊臣氏外様大名として、九州攻め、小田原攻め、文禄・慶長の役に出陣。九州攻めでは長子信親以下七百余人の戦死という痛手を被る。天正15年よりの一国総検地を実施し、「長宗我部元親百箇条」をさだめた。 | ||||||||||||||||||
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