近松ちかまつ門左衛門もんざえもん
生没年 承応2年(1653)〜享保9年(1725) 分類 浄瑠璃作者・歌舞伎狂言作者

略歴
 本名は杉森信盛。越前福井に生まれる。福井藩に仕えていた父が浪人となったため、京都に移り住み、宇治加賀掾のもとで修業。加賀掾と共に大坂に下る。加賀掾が興行で対抗していた竹本義太夫とくみ、「出世景清」を執筆、名声を博した。元禄年間に坂田藤十郎らと組んで歌舞伎作劇にも力を入れ、「傾城仏の原」、「傾城壬生大念仏」などを執筆。浄瑠璃に歌舞伎色を取り込み、元禄16年竹本義太夫のためにかいた「曾根崎心中」で世話浄瑠璃を確立した。宝永2年大坂竹本座の座付作者となった。歌舞伎は坂田藤十郎の死とともに執筆を絶ち竹本座の浄瑠璃制作に専念。「国性爺合戦」、「心中天網島」といった傑作を残した。
場所 山口県 長門市 赤崎山公園


 

 




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