田中吉政 たなか よしまさ
生没年 天文17年(1548)〜慶長14年(1609) 分類 戦国武将・大名

略歴
 近江国高島郡田中村に生まる。初名は長政、のち竹・久次・久兵衛と称した。宮部善祥坊に従い因幡鳥取にいたが、豊臣秀次に仕えて5千石、秀次の没後は、秀吉に仕えた。天正18年三河岡崎城主となり5万7400石。その後も何度か加増され慶長元年には10万石となった。関ケ原の戦では東軍に属し、石田三成を捕らえる功をたて筑後一国32万5千石を与えられ柳河城主。在任中、柳河城下の整備、新川の開削、筑後川・矢部川の流域改修、道路の新設、開拓奨励、有明海沿岸の干拓などを積極的に実施。キリスト教にも深い理解を示し、城下での布教を許した。参勤の途中、伏見で死去。
場所 福岡県 柳川市 坂本町


 

場所 愛知県 岡崎市 伝馬通り
 




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