田中鉄三郎 たなか てつさぶろう
生没年 明治16年(1883)〜昭和49年(1974) 分類 銀行家

略歴
 田中馨治の三男として現在の佐賀県鹿島市高津原に生まれた。明治40年東京帝大学政治学科を卒業。大蔵省から日本銀行にうつりに、文書局長、大阪支店長などを経て、昭和10年日銀理事となる。政府代表として国際会議に度々出席し、第1次大戦中ヨーロッパ駐在員をつとめ、戦時下の財政、経済を研究。へーグ賠償会議の委員に任命され、国際決済銀行の創設委員として、諸問題の解決に功績を残した。昭和11年満州中央銀行総裁、昭和17年から終戦まで、朝鮮銀行総裁。戦後は外務省、通産省の顧問、日本海外移住振興社長、日本外交協会会長などを勤めている。昭和40年に生家と六百坪の土地を母校の鹿島高校に寄付している。
場所 佐賀県 鹿島市 旭ケ岡公園


 




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