田中盛明 たなか もりあき
生没年 天保14年(1843)〜没年不詳 分類 医師・銀山開発

略歴
 静洲。慶応元年(1865)年薩摩藩派遣留学生の一人としてイギリスに留学、慶応2年年留学先をフランスに移り、フランス語を学ぶ。帰国後朝倉盛明と改名しフランス語教師として薩摩開成所に勤める。慶応4年から明治22年に退官するまで兵庫県生野銀山の再開発に取り組む。日本の鉱業の発展に大きく寄与した。退官後の消息は不明。
場所 鹿児島県 鹿児島市 若き薩摩の群像
  




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