田中光顕たなか みつあき
生没年 天保14年(1843)〜昭和14年(1939) 分類 土佐藩士・政治家

略歴
 高岡郡佐川村に生まれる。父は土佐藩主山内氏の家老深尾家の家臣浜田金治。那須信吾は父の弟にあたる。初名は浜田辰弥だが脱藩して長州に赴き田中顕助と改めた。武市瑞山に師事し、文久元年土佐勤王党にくわわる。元治元年、同志とともに脱藩。慶応3年陸援隊に加入する。維新後は明治政府に出仕し兵庫県判事、大蔵少丞などを歴任。西南戦争では征討軍団会計部長。その後は陸軍会計局長、陸軍少将、元老院議官、会計検査院長、警視総監、貴族院議員、宮中顧問官、学習院長などの要職を歴任。明治31年から11年間宮内大臣を勤めた。号は青山。
場所 高知県 高岡郡佐川町 青山文庫




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