田中久重たなか ひさしげ
生没年 寛政11年(1799)〜明治14年(1881) 分類 発明家

略歴
 鼈甲職人の子として久留米城下の通町に生まれる。幼いころから発明工夫の才能があり、周囲の人間を驚かし、文政年間五穀神社祭礼において、水を利用した装置で人形が踊り笛を吹く水カラクリ人形を披露し、以後「からくり儀右衛門」と称される。天保5年大坂へ移転するが大塩平八郎の乱に遭い家財を焼失。その後も新たな発明のために、天文家の戸田久左衛門、陰陽総司土御門家、京都の広瀬元恭に学ぶ。安改元年ごろ佐野常民の推薦により肥前佐賀藩にまねかれ蒸気機関やアームストロング螺旋砲の製造にあたる。明治6年東京に出て製鉄事業を始め、明治8年東京銀座に電信機製作の田中工場(東芝の前身)を創立した。
場所 福岡県 久留米市 五穀神社郷学の森


 




戻る