武市瑞山たけち ずいざん
生没年 文政12年(1829)〜慶応元年(1865) 分類 土佐勤王党盟主

略歴
 通称半平太。長岡郡仁井田郷吹井村(現在の高知市仁井田)に郷士の長男として生まれる。江戸に出て桃井春蔵の門下生となり、剣を学ぶ。文久元年頃から尊攘派として頭角を現し、長州藩の久坂玄瑞らとまじわり、土佐に帰国すると同志と土佐勤王党を結成。文久2(1862)年、土佐勤王党の同志に公武合体派の参政吉田東洋を暗殺させ、土佐藩論をにぎり尊攘運動を進めた。しかし前藩主山内容堂は公武合体論の立場から瑞山らの行動を憎み、勤王党の弾圧に乗り出しり文久3年9月投獄される。瑞山は獄中で二年近く抵抗したが、慶応元年閏5月11日獄中で自刃を命ぜられた。
場所 高知県 安芸郡田野町 福田寺
 




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