武市安哉たけち  やすや
生没年 弘化4年(1847)〜明治27年(1894) 分類 北海道開拓者・政治家

略歴
 長岡郡大囁コ住吉野(現在の南国市大)に郷士の分家に生まれた。15才で本家を相続。明治元年(1868)鳥羽伏見の戦に参加。明治5年(1872)小学校の教師となる。明治9年に立志学舎の学生となり、明治12年県会議員に当選、明治14年に県会議長を務め、以来自由党議員として県会に重きをなした。明治18年高知教会で受洗。明治20年、三大事件建白で2年間投獄。出獄した後、明治25年に第一回衆議院選挙に自由党より出て当選したが、政治の腐敗に絶望し、翌年辞職。北海道に渡り樺戸郡浦臼の原野に移民数十名と共に入植、聖園農場を経営する。翌年郷里に一度戻り、帰北の途についたが、青函連絡船の船中にて脳溢血により没した。
場所 高知県 南国市 大囂ャ学校
 

 




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