高山右近 | |||||||||||||||||||||||
生没年 | 天文21年(1552)〜慶長20年(1615) | 分類 | 戦国武将・キリシタン大名 | ||||||||||||||||||||
略歴 |
安土桃山・江戸前期の代表的キリシタン大名。高山飛騨守図書の嫡男。永禄7年、ロレンソから受洗、霊名ジュスト。21歳のとき、摂津国高槻城主となり織田信長に仕えた。信長の死後、羽柴秀吉にしたがい播磨明石城主となった。利休七哲のひとりで文武両道にすぐれる。また右近の影響で蒲生氏郷、黒田孝高らが受洗、細川忠興、前田利家らは教会に好意をよせた。天正15年、秀吉は九州出兵の途次、突然伴天連追放令を発布、右近に棄教を迫ったが拒否、領地を没収された。徳川家康の禁教令でマニラに追放され、同地で死亡。 | ||||||||||||||||||||||
|