高取伊好たかとり これよし
生没年 嘉永3年(1850)〜昭和2年(1927) 分類 実業家

略歴
 佐賀藩家老多久家の儒臣鶴田斌の三男として多久原西の原に生まれた。鶴田皓は実兄。高取大吉の養子となり、藩校東原庠合、ついで草場佩川に学んだ。上京して箕作奎吾の三叉塾に入り、慶応義塾に転じて鉱山学を学ぶ。工部省工学寮で採炭学を修め、卒業すると高島炭坑在勤の技手となる。長崎県、佐賀県の炭鉱開発をおこない、高島炭坑取締役、明治唐津鉱業組合長となる。明治38年住の江港を特別輸出港とする。明治42年杵島炭坑を買収、大正2年肥前電気鉄道社長、大正6年高取合資会社、翌年高取鉱業を創立。
場所 佐賀県 多久市 西渓公園


  




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