高田屋嘉兵衛 | |||||||||||||||||||
生没年 | 明和6年(1769)〜文政10年(1827) | 分類 | 海運業者 | ||||||||||||||||
略歴 |
淡路国津名郡都志本村(兵庫県五色町)百姓弥吉の長男。兵庫西出町に居を構え、寛政8年船持船頭として独立すると兵庫と蝦夷地(北海道)との北前船交易を開始した。寛政10年箱館大町に出店をもうけ松前藩の用達となる。寛政11年東蝦夷地が幕府直轄となると、幕府の物資輸送に従事し、択捉航路、択捉島の漁場の開発に成功する。享和元年蝦夷地定雇船頭となり、官船と定雇船を一手に掌握した。文化9年択捉から箱館に向かう途中、ロシア船に捕らえられ、カムチャツカに連行される。翌年送還され、ゴローブニンの釈放、日露間の紛争解決につとめた。 | ||||||||||||||||||
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