孫文そんぶん
生没年 1866〜1925 分類 革命家・政治家

略歴
 広東省香山(現・中山)県の人。妻は中国名誉国家主席となった宋慶齢。1894年ハワイで反清朝の革命秘密結社興中会を組織。1895年広州で武装蜂起に失敗して日本に亡命。以後革命生涯の3分の1を日本で活動し多くの日本人と交流を深めた。明治38年東京で中国同盟会を結成、民族・民権・民生の三民主義をかかげる。1911年辛亥革命がおきるとアメリカから帰国し、翌年中華民国の臨時大総統となるが、袁世凱にゆずり辞任。1917年広東政府を樹立、1919年中国国民党を結成、1924年第1次国共合作を実現して総理に就任。最後に日本を訪れた1924(大正13)年11月、神戸で有名な「大アジア主義」を講演する。
場所 長崎県 長崎市 福建会館


 




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