曽我部 そかべ清澄きよずみ
生没年 明治40年(1907)〜昭和56年(1981) 分類 物理学者・教育者

略歴
 吾川郡下八川村十田1278(現在の吾北村)に生まれる。昭和2(1927)年旧制高知高等学校、昭和5年東京帝国大学理学部物理学科を卒業。鹿児島、福岡、愛知の中学校、高知高等学校教諭を経て、昭和24年高知大学教授となる。高知大学草創期に評議員として管理運営に参画し、文理学部の研究体制の基礎を築いた。昭和30年からビキニ環礁の水爆およびソ連の核実験による高知市での放射性物質の測定をした。昭和33年に土佐中学校・高等学校の校長に転じ”私学の名門”としての評価を定着させた。高知県県私立中高連合会長、私立学校審議会委員などを歴任し、県高校野球連盟会長なども務めた。
場所 高知県 高知市 土佐中学校
 




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