調所広郷 ず しょ ひろさと
生没年 安永5年(1776)〜嘉永元年(1848) 分類 薩摩藩家老

略歴
 鹿児島城下に生まれる。名は笑悦、笑左衛門など。天明8年(1788)調所家の養子となる。寛政10年(1798)奥茶道方として出仕、島津重豪の側に仕える。文化8年(1811)茶道頭、文化10年小納戸勤め。このとき蓄髪して笑左衛門と改名している。重豪や斉興の信頼が厚く、文政7年(1824)側用人格、文政11年薩藩財政改革主任、天保3年家老格と出世。砂糖の総買い入れ専売制実施、藩債500万両の250年賦償還などにより藩財政を再建。お由羅騒動では斉興・久光派に与したが、斉興の隠居を画策する斉彬派により、薩摩藩が琉球や中国と行っていた密貿易の全責任を負わされて江戸の薩摩藩邸で自刃した。
場所 鹿児島県 鹿児島市 天保山公園


 

 




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