菅実秀 | |||||||||||||||||||||||
生没年 | 文政13年(1830)〜明治36年(1903) | 分類 | 庄内藩中老・官吏 | ||||||||||||||||||||
略歴 |
明治元年戊辰戦争が勃発するや軍事掛に任ぜられ、家老松平親懐を助けて庄内藩の指導に当たり、降伏後は戦後処理に敏腕を振るう。このとき西郷隆盛の厚遇で藩の危機がすくわれたため、以後西郷に師事し鹿児島藩の諸政策を参考にした。明治2年中老に任ぜられ、明治3年大泉藩(改称)の権大参事となった。明治4年、西郷隆盛と初めて東京で会う。酒田県が成立すると大参事。ワッパ騒動により引責辞任。西南戦争後、「南洲翁遺訓」を刊行。 | ||||||||||||||||||||||
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