清水次郎長 | |||||||||||||||||||
生没年 | 文政3年(1820)〜明治26年(1893) | 分類 | 侠客・実業家 | ||||||||||||||||
略歴 |
駿河清水の船頭雲不見三右衛門の3男。母方の叔父の米問屋山本次郎八の養子となる。23歳のとき、喧嘩で相手を殺したと思い込み清水を出奔。28歳で江尻大熊の妹おてふを娶る。東海道を縄張りにして甲斐の黒駒勝蔵と平井村の役、伊勢桑名の穴太徳と荒神山の喧嘩など明治維新まで争いに明け暮れる。維新後、山岡鉄舟らとまじわり、富士山麓の開墾、清水港の整備などにつくした。実業家として清水港の整備、富士山麓の開墾、静岡茶を横浜に運ぶ蒸汽船会社の設立などを行う。 | ||||||||||||||||||
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