白瀬矗 しらせ のぶ
生没年 文久元年(1861)〜昭和21年(1946) 分類 探検家

略歴
 秋田県由利郡の寺院の子として生まれる。明治5年寺子屋で北極の話を聞き、探検家を志して陸軍に入隊。郡司成忠の千島探検に参加して2年間越冬を体験。日露戦争に従軍し負傷、中尉に昇進。明治42年アメリカのペアリー隊が北極点初到達に成功したことを聞くと、目標を南極に変更。朝日新聞社の呼びかけにより集まった寄付金を元手にして明治43年11月出発。45年1月南極大陸に上陸、南緯80度5分の地点に到達し、同地を大和雪原と命名した。その後は探検のため負った多額の借金返済になくなるまで苦しみ、貧窮のうちに敗戦の翌年病死。戦後になってこの壮挙が見直され、昭和56年建造の南極観測船が「しらせ」と命名された。
場所 秋田県 由利郡金浦町 浄蓮寺


 

 




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