志水忠平 | |||||||||||||||||||
生没年 | 嘉永3年(1850)〜明治37年(1904) | 分類 | 尾張藩老中・名古屋市長 | ||||||||||||||||
略歴 |
尾張藩家老志水忠賢の長男として生まれる。13歳で家督を相続、一万石を領した。文久3年には警備強化のため、名古屋城下から領地の大高(名古屋市緑区大高)に移り住んだ。元治元年11月には、三河国境の境川を警備し、長州征伐の総督として広島へ行っていた藩主徳川慶勝の留守を守った。慶応元年名古屋城内本邸に帰ると、同2年執政加判の列に加わり、従五位下甲斐守に叙任。明治元年、鳥羽・伏見の戦いの際に藩主慶勝上洛の中で、藩論分裂を防ぐのに尽力した。藩の南方総管として、知多横須賀に移り、同地方の守りを固める。維新後は名古屋藩大参事、集議院議員、第百三十四国立銀行取締役、同行頭取などを歴任し、明治23年第2代名古屋市長となった。 | ||||||||||||||||||
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