島津義弘 しまづ よしひろ
生没年 天文4年(1535)〜元和5年(1619) 分類 戦国武将

略歴
 島津貴久の次男として伊作城で生まれる。初名は忠平、義珍、通称は又四郎、号は惟新。元亀3年日向の伊東氏を破ったのを始めに、兄と共に相良・肥後・肥前を制圧。豊後の大友氏に迫る。天正13年秀吉の和議提案を拒絶したため、秀吉の島津征伐が勃発。戦いに敗れ、天正15年講和。大隅領有はゆるされる。文禄・慶長の役で朝鮮に出陣、泗川の戦いで明(中国)の大軍を破り、虎狩りの勇名を轟かせ、多くの陶工を薩摩に連れ帰った。関ケ原の戦いでは西軍に属し、敵中を正面突破して退却、桜島に蟄居した。
場所 鹿児島県 日置郡伊集院町 伊集院駅




 




戻る