島津斉彬 しまづ なりあきら
生没年 文化6年(1809)〜安政5年(1858) 分類 大名

略歴
 島津斉興の長男として江戸に生まれる。初名は忠方、通称は又三郎、惟敬、麟洲と号した。由羅騒動(嘉永朋党事件)の結果、前藩主の斉興が隠居し、嘉永4年(1851)薩摩藩当主を継ぐ。磯別邸に製煉所や集成館を作り、近代工業化に必要な試験行い、水道工事や造船など軍事を中心とした富国強兵策を実施した。一方、安政2年(1855)には養女敬子(篤姫、のちの天璋院)を将軍家定の正室にすることで、幕府内での発言力の強化を図る。将軍継嗣問題では一橋慶喜擁立運動を支援し、公武合体を推進したが、安政の大獄の前夜病死した。
場所 鹿児島県 鹿児島市 照国神社




 

 


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