島津久光 しまづ ひさみつ
生没年 文化14年(1817)〜明治20年(1887) 分類 薩摩藩重富領主・公爵

略歴
 島津斉興の5男。母はお由羅の方。初名は忠教、通称は又次郎、号は双松、大簡、玩古道人、無志翁などがある。島津斉彬は異母兄にあたる。一門の島津忠公の養子となり天保10年(1839)大隅国重富領1万4000石を相続。斉彬の遺言により久光の実子・忠義が藩主となると、その後見人として藩政の実権をにぎる。文久2年(1862)年兵を率いて上洛、公武合体運動をすすめ、寺田屋事件で藩内の尊攘過激派を弾圧し、勅旨大原重徳を奉じて江戸に行き、一橋慶喜の将軍後見職就任などの幕政改革を実施させた。維新後は新政府の開明的な政策を批判、明治6年上京し、内閣顧問、翌年には左大臣に就任したが、保守的な意見が入れられなかったため辞職、帰国した。
場所 鹿児島県 鹿児島市 探勝園


 

 




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