渋沢敬三しぶさわけいぞう
生没年 明治29年(1896)〜昭和38年(1963) 分類 財界人・民俗学後援

略歴
 東京都生まれ。渋沢栄一の嫡孫。横浜正金銀行に勤務したのち、祖父が創業した第一銀行(現在の第一勧銀)の取締役となり、常務取締役、副頭取などをへて昭和17年日本銀行副総裁、昭和19年に47歳で日銀総裁となる。敗戦直後の昭和20年10月に幣原内閣の蔵相となり、戦後財政の処理にあたる。公職追放解除後はは国際電信電話社長、文化放送会長など、財界で活躍。少年時代は生物学者を夢見ていたこともあり、戦前から民俗学と生物学の研究を続け、アチック・ミューゼアム(のちの日本常民文化研究所)を主宰し、おおくの民俗学者をそだてた。
場所 青森県 上北郡六戸町 祭魚洞庭園




 

 




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