渋沢栄一しぶさわえいいち
生没年 天保11年(1840)〜昭和6年(1931) 分類 実業家

略歴
 武蔵国榛沢郡血洗島(現・埼玉県深谷市)の名主の長男。6歳のとき父親から『論語』を学び、これを終生の指針とした。22歳のとき江戸に出て同志とともに横浜の外人館焼き打ちを企てるも果たさず。一橋家の家臣に助けられて、一橋慶喜に仕える。慶応3年慶喜の弟徳川昭武にしたがって渡欧し、先進国の近代的産業設備や経済制度を学ぶ。維新後、大蔵省にはいり、財政・金融制度などを立案。退官後、第一国立銀行のほか、王子製紙、大阪紡績など500余の会社を設立しの設立に関与。引退後は社会事業につくした。子爵。
場所 東京都 千代田区 常磐橋公園

場所 青森県 上北郡六戸町 祭魚洞庭園






 

 




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