Siebold,Philipp Franz von | |||||||||||||||||||||||||||||||
生没年 | 1796〜1866 | 分類 | 医師・生物学者 | ||||||||||||||||||||||||||||
略歴 |
バイエルンのビュルツプルクの医師の家に生まれる。ビュルツブルク大学で医学,植物学などを学ぶ。1822年,オランダ領東インド会社付の医官となり,文政6(1823)年8月に長崎出島に入った。長崎奉行から許されて,郊外の鳴滝に学舎を造り、医学、博物学をおしえ、日本の洋学発展につくす。文政9年オランダ商館長の江戸参府に随行して1ヵ月余り江戸に滞在。文政11年国禁の地図の海外持ち出しが発覚し、国外追放となる。帰国後「日本」「日本植物誌」など日本関係の書物をあらわす。安政5(1858)年目蘭修好条約の締結とともに追放解除。安政6年再来日する。長男、次男も後年日本で外交官として活躍する。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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