斎藤外市さいとう といち
生没年 慶応元年(1865)〜大正15年(1926) 分類 発明家

略歴
 田川郡長沼村斎藤外助の長男。少年のころより機械類に興味をもち、その手始めに自宅で操業していた木綿綾織を輸出向け羽二重に転換して成功、明治31年(1898)には斎外式力織機を発明して特許を得、電動化して鶴岡で量産した。これは日本での電動力織機のさきがけで全国に普及、明治44年(1911)までの生産は1万台に達する。これより先明治39年(1906)羽前輸出織物信用組合を設立、翌40年純子製織機を発明する。その他発明は、飛行船、潜航艇、水雷、飛行機、十連発小銃にまでおよび、一方鶴岡の町会議員をつとめて両羽実業新聞、鶴岡瓦斯鰍フ設立にも関与した。
場所 山形県 鶴岡市 鶴岡公園
 




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