斎藤さいとうきち
生没年 天保12年(1841)〜明治23年(1890) 分類 女性

略歴
 唐人お吉として知られる米国総領事ハリスの下田時代の側女。尾張国知多郡西端村(愛知県知多郡南知多町内海)の船大工の二女として生れる。四歳の時伊豆国下田に移り住む。弘化4年(1847)向井将監の側室村山せんの養女となり、芸事を仕込まれる。安政3年(1856)駐日米国総領事ハリスが来日、翌年、当時17歳のお吉は下田奉行の命により、看護婦の名目でハリス(当時53歳)の側室となるが、病気を理由に3日で解雇。異人と交わったとして世間から好奇の目でみられ、唐人お吉と呼ばれる。その後はすさんだ生活の果て病気となり、50歳で投身自殺した。
場所 静岡県 島田市 法林寺





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