北楯利長きただて としなが
生没年 天文17年(1548)〜寛永2年(1625) 分類 戦国武将・利水家

略歴
 最上義光の将。慶長5年義光は関ケ原合戦後の行賞によって庄内3郡を領有、慶長6年8月利長は姓を北館と称し,狩川・清川・立谷沢3000石を与えられて狩川城主となる。慶長17年清川山をきりひらき立谷沢川の水を田川郡北辺にひく北楯大堰を完成させ、約4200haの灌漑を可能にした。元和8年最上家改易のため浪人となったが、酒井家に召抱えられ姓を北楯と改める。大正4年従五位追贈。
場所 山形県 東田川郡立川町 楯山公園
 




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