吉良義央 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生没年 | 寛永18年(1641)〜元禄15年(1703) | 分類 | 幕臣・高家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
略歴 |
足利一族の名門で、祖父養家以来幕府高家を務める吉良家に生まれる。父は若狭守義冬。幼名三郎、通称左近。寛文8年に家督を継ぐ。延宝8年(1680)左少将、天和3(年1683)より高家肝煎を務めた。元禄14年(1701)江戸城中で勅使接待の折、赤穂藩主浅野長矩にきりつけられて負傷し、隠居する。元禄15年12月15日浅野長矩の旧臣大石良雄らにおそわれ斬殺された。創作の世界では悪役として描かれているが、知行地の三河国幡豆郡吉良地方では、善政により名君として評価されている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|