雉本朗造 | |||||||||||||||||||
生没年 | 明治9年(1876)〜大正11年(1922) | 分類 | 法学者 | ||||||||||||||||
略歴 |
愛知郡鳴海町笠寺鳴尾に生まれる。明治36年東京帝大法科大学独法科を卒業、銀時計を授与されるほどの秀才だった。明治37年から41年までドイツ留学、帰国後、京都帝大教授、翌年には法学博士となる。大正7年京都帝大法科大学長。大正9年大坂に日本法律研究所を開設し、、郷里愛知県の小作争議を支援したことから、国会で非難される。大正11年瀬戸内海の船上より行方不明となった。日本の民事訴訟法学の基礎をきずいた人物。 | ||||||||||||||||||
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